Life is very short. TSUKION BLOG

無知と偏見を経験が凌駕する!

コミュ障であるかどうかは主観の問題ではないだろうか

人とコミュニケーションとるの得意と言い放つ人が話がうまくて人に好かれてる、というわけでもない

 

 

友だちがたくさんいるというのを

アイデンティティーの一つとしている人が

嫌でたまらない。

友達がたくさんいる=人気者=ほかならぬ自分

のような感じ。

こういう人は

ちょっとした知り合いレベルでも友達としてくくっているのではないかなぁ。

そもそも、じゃあこういう人は

その「友達」と

うまくコミュニケーション取れてるんだろうか。

ひとりよがりであることが多いのではないだろうか。

コミュニケーションていうのは意思疎通のこと。

意思疎通ってのはお互いの考えを認識して共有して理解を得ること。

理解を得る。

得る。

これ、なかなか難しいんだと思う、本来は。

だから私は

「友だちたくさん自慢」の人って

コミュ障に入ると思う。

相手の真意を理解せぬままに突き進む。

人見知りばかりがコミュ障ではない。

自覚のないコミュ障もいるのだ。

 

 

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くっそつまんない話に長々と付き合わされた、

という経験はありませんか?

話してる方は気分よくとうとうと話していても

聞いてる方は苦痛だとしたら

これは到底コミュニケーション取れてるとは言えない。

飲み会なんかで上司側の人

やっちゃってると思う。

 

 

 

 

先日、美容院に行った。

私は美容院とかエステとか

そういったものが苦手だ。

赤の他人と話さなければいけないからに他ならない。

話したくなきゃ黙ってりゃいいじゃんと思った人は

羨ましい限りである。

私は愛想がいい。

愛想だけで人生の困難を乗り越えて来た。

だから話す相手は

私が

くっそつまんねーな

と思っているなんて考えもしないはずだ。

 

話しかけてくれる美容師さんを無視することも出来ず

私はまたずるずると沼にハマる。

あなたがどこで誰の為にクリスマスプレゼントを買ったかなんて

微塵も興味がない

などとおくびにも出さないよ。

これも

コミュ障のひとつだと思う。

 

 

要するに

人前に出ると何を話していいかわからない、というだけでは

コミュ障とは言えない。

本人がそこに苦痛を感じているかどうかが重要なのだ。

会話が無くても気まずさを感じない人間関係というのもある。

長い付き合いになればそういう風になることもあるが、

知り合って間もないのにそんな感じでいられる人がいたら

ラッキーとしか言いようがない。

 

 

私は少ないが友達もいる。

人前で社交辞令も言える。

思ってもいないような誉め言葉も言える。

しかし私は間違いなくコミュ障。

 

 

そんな私は当然の如く闇を抱えている笑👇

tsukion.com

 

 

本人がコミュ障と言えばコミュ障だし

そうじゃないと言えばそうじゃない。

便利な言葉である。

なにかから逃げる時にも

とっても有効な

ズルい言葉だ、とも思う。

このズルい言葉を駆使して

上手に世渡りしている人は賢い。